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大黒座周辺の地理と歴史的背景

  • c087.JPG大黒座の前を走る道路は、明治期に国道33号線が開通するまでは、土佐街道と呼ばれ久万・高知方面への重要な交通路でした。
  • 往時には多くの人が行き交い、そのため周辺には現在でも数多くの歴史遺産や伝説が残っています。私たちこの地域に住む住人は、今まで恵まれ過ぎていたために、この事に気づいていなかったのかも知れません。
  • 豊かな自然と多くの歴史遺産に恵まれた里山、その中に大黒座は建っています。


大黒座周の歴史

  • c002.jpg「大黒屋」の所有者・黒田家は、かつて久谷地区で酒造業を営み、母屋、酒蔵などをかまえていた。酒造業を廃業して後、酒造蔵を芝居小屋「大黒座」として活用した。建物は木造2階建て、漆喰中塗り仕上げ、屋根は桟瓦葺。建築面積223㎡(約68坪)、延べ面積379.4㎡(約115坪)。観客:最大200人収容。当時は「内子座」のような桝席を設け、花道もあったという。遠方からも人が訪れ、楽しませ賑わっていた。その後、昭和38年まで映画館として使われた。
  • 建物に入って見上げると、大きな梁や登り梁が何本もかけられ圧倒させられる。蔵を建てた当時、練り上げに一週間かかったというのも納得できるほど迫力がある。81年に建てられたそのままに残っているのである。土間には25cm角の通し柱が4本あり、その内の1本に「大正拾二年」(1923)と記されてある。芝居小屋として使われていた時、奥の3間(約6m)部分を舞台としていた。舞台前にある2本の柱は、客から舞台が見えないということで切断され、丸い鉄の支柱に付け替えることさえしている。舞台の上は吹き抜けになっており、照明の上げ下げに使われていたという竹を網状に編んだ装置が残り、吊り元さえ残された本格的なものである。2階は物置として使われ、芝居に使われた道具が残っている。人々の「大黒座」への思いが伝わってくる。
  • 芝居上演と共に映画も上映されていたが、昭和38年に映画館は閉鎖された。しかし、建物が使われなくなって、以後40年間壊すことなく修理し維持されてきた。それは「いつの日か、人の集まることがある」という所有者の思いや地域の人の願いがもとになっている。
「大黒座の歴史」につぃては、平成16年度、松山市募集学生政策論文・優秀作品『よみがえれ「大黒座」-フィールドミュージアム・久谷の拠点』より引用させていただきました。

一階

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一階客席部分、正面を舞台としていた。

舞台上部

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照明の上げ下げに使用された竹を組み合わせた装置。

梁の部分

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大きな梁。

壁の部分

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伝統的な土塗り壁。

co2.jpg大黒座のオーナーであり、大黒座コーラスの指導者でもある松本先生。先生の人柄を慕って多くの人たちが集まっています。